真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

遊んでいる雰囲気を出すことに全力を注いできた業界

ジャンクフードって胃が持たれますよね。細かく説明し難いんですが、一言で言うとそういう「面白さ・楽しさ」を感じる局面を連続で見た気がしました。

「余った木片の切れ端で積み木細工をする」みたいな感じと、「精密に計算された工業的パーツを組み立てる」の間には、ポジティブには人の進化・創意工夫の差異があります。一方、これを「ネガティブ」に組み込むかはケースバイケースなんですが、後者には商業的動機も混ぜ込まれている。

んで「商業的動機が悪い」と直結させるのは適切じゃないことをある程度理解したうえで書いてしまえば、ここに「指数成長」を期待する第三者がいて、これがクソ面倒だなとなんとなく思います。その第三者は私の目線では理想的には介在してほしくない、「遊ばせ」「遊ぶ」関係におけるノイズなんですが、結局圧迫はそこから一番来ますねと。

雑に上の二カテゴリを比較してしまうと、根本的な動機が根底では全く違うように見えます

  • 原材料調達と開発体制確保(原価)が同一文脈の「制約」としてあって、エンターテイメントを主としている。「エンターテイメント」に人が集まっており、それが主である
  • 利益が主となって、原材料調達、資金体制確保(原価)、エンターテイメントが従になっている。「エンターテイメント」に集まっている人も従である

精密にどういうタイミングで切り替わるか良くわかってませんが、この2つは全く同じ業界、全く同じプラットフォームにおいて混在する。規模についていうと、ある程度大きくなれば後者の可能性が非常に高く、ただ歴史的には前者の領域は狭まってきているようにも見えます。すごく大括りで言えば、前者で育てられた何かが後者で収奪されて死んでいく。私はちょうど収奪されている仮定でのエンターテイメントを「食わされ」ている感じが強くなっている。

まぁ単純に歳で受容する能力が落ちているから、という可能性も結構あると思っているし、仮にそうじゃなくて(≒収奪の過程が真実なんだとして)も、上の現象が完全な悪っちゅうことはないとも思うんですが、単に「何か寂しいな」と。

端的には、広い意味での「UXデザイン」に差異が強く出てくる気がしました。まず物事が成り立ちはじめたころのUXというのは「わかりやすくしろよ」なんです。いびつな積み木は積むのが辛いんでサイズ合わせろ、というあたりです。ドット絵も、あまりに素材側の性質が粗雑だから(使える色もスプライトもどーたらこーたら)、もう、とにかく分かる表現にエネルギーが費やされる。もっと良い表現方法ができてくると、あるところで一瞬噛み合うはずです。黄金期がある。

どこかで「UXデザイン」の根底にあるものが「どう儲け事をごまかすか」にシフトしていくようです。課金しないと進まない作りにする、課金していないと(遊戯としては成立しても)「カッコ悪い」ように見せる、フェアであることをアピールする、劣悪品であることが分からないようにガワで、広告で、本質を隠す。まぁ単純に「サステナブルとかシランガナ」という感じ。

第1段階で急速に注目を得ている領域は特にこういう傾向があるかもな、なんて思ったりもしたりします。歴史的に安定しているものについて言うなら、何が作用しているかはわからないんですが「収奪競争」にならない環境上の論理があるんでしょうね。

具体的事例を指してないので何のことやらさっぱりわからんと思うんですが、まずは。

学マス

ああ、うん、咲季のこの設定、好きだわ……

PS3とかで春香が中心の時代の(家庭用)アイマスをやっていた時期から大分時間経ってやってみると、進化の大きさがすげぇなぁ、金の払わせ方もすげぇなぁ(白目)とか。

1プレイが重たくないなりにゲームっぽさもまぁまぁなので人気は出るんだろうなと。

ただ、若い人的なのが群がるのかまでは良くわかんない。このフォーマット(アイドル候補生とプロデューサーという関係)は当初すごく興味深かったけど流石に陳腐化していて、あとはキャラをどんくらいプレイヤー(=プロデューサー)とノンプレイヤーにとって魅力的に維持するか、また場合によっては人増やすか、なのかもなぁと思いつつつ、もう既存キャラがすんごいことになってるのもあって今のメンツが新鮮でかつ維持可能なのか良くわからない。

咲季についてははっきり「プロデューサーのおかげで本人が殻を破る」ストーリーになりそうなので綺麗にサクセスストーリー……というのは良くて、「あら、ここで終わっちゃうのかなるほど」みたいなところがあるんかもしれない。「(引退するまで)終わらないアイドルストーリー」では実はなくて、アイドルとしての完成がゲームに設定されているので案外キャラモノとしては賞味期限は短いのかも……

とはいえ、咲季の自分に対する「偽物」評価とかは、やっぱり好きだわ……このキャラ作りは……偉いなぁ

Aruduino Nano Every と 128X64 のディスプレイ

他の人もやってるので簡単なメモです。GP2404-CEのディスプレイとして買った小さいOLEDディスプレイをArduino Nano Every (と Arduino R4 Minima) で動作させてみました。小さい練習を積み重ねないとね

 

KeeYees OLEDディスプレイ OLEDモジュール 0.96インチ I2C 128X64 SSD1306 

arduinomakesiteasy.com

 

Arduino Playground - I2cScanner によるとアドレスは3C、というわけで ssd1306_124x64_i2c のサンプルの当該部分を修正して実行するだけです。写真では3.3Vを選んでますがAmazon上だと「電源電圧:3.3V-5V」とあるので5Vで壊れたりはしないんでしょう。

 

 

第二種電気工事士 筆記 CBT

38/50 なのでまぁ通ったんだと思う(合格は60%と聞く)。

それにしても、この資格の話をすると、みんな自宅の電気工事目的と思うらしくて、それがイマイチ。いやまぁ「ワイド型スイッチに変える」みたいなのは考えたんだけど、正直経験もなしにだいそれた工事はせんだろ、という気持ち

個人的なモチベーションは「電気・電子周り知らなすぎやろ」という共用文脈の方。あいにく電気工事士は「電気回路」(強電)、本丸で興味あるのは「電子回路」(弱電)でオーバーラップあんまりないんだけど、まぁ一旦そこはいいかな、という感じ。量だ、こういうのは量。身近にどんだけできるか。

実技の準備をしなければならない。

 

 

ダイの大冒険の前日譚をひとしきり読んだ

ヨメから「読め」と言われたので

存在は知ってたんだけどあんまりノラなかった事情がある。ついでにいうとアニメも存在は知っていたし出来が良いのも聞いていたんだけど、ノラなかった事情がある。局所のシーン見ると「ああ、良い」と思ったのは確かなので見れば見たで面白いはずなんだけど。

ダイの大冒険は好きな部類に入るんだけど、当時の感情的にも「後半がダレた」感覚がすごくひきづっている。週刊連載で原作者が設定をとにかく垂れ流したから文章もりもりの後半戦というのが何かアレだし、なんだかんだほとんど味方死なないしで、現代的な言い方でいうと「レールプレイングゲーム?」というところなんだと。

で、そういう印象があって、しかも「終わった」感じで消化しきった感覚が物凄く自分の中である分、その前日譚を見ても「まぞっほwwwあーねwww」みたいなところはありつつ、やはり火はつかないのであった。

前日譚そのものは、面白い・面白くないで言うと、面白いほうだと思うし、多分「パズル」の埋め方としてはすごく上手い。後付けの設定なはずなのだけど、期待値より一段〜二段高いところで噛み合っている。

ただまぁ、「噛み合わせている」感じは否めないんだよね。例えばデルムリン島が早くから出てくるけど、個人的には「ああ、まぁ、出さないと繋がらないからね……」という、出来レース感はある。だって最後、あの島が平和になることは絶対ありきだから、「出てきましたまる」は予想できるし、そこでねじれた展開をほしいわけではなく、なにもないところにその島があると言うわけにもいかないから……

あと、やはりドラクエをどうしても引きずる部分があって、そして同時にドラクエと違う呪文と技の序列があることがどっかで引っかかってしまう。ピオリムってそんなにレアスキルじゃないし、マホカンタの市場価値とんでもないはずなんだけどマホキテなくて、んでもってメドローアはそんなにホイホイ魔王サイドに見せちゃいけない代物のはずだし、アバンストラッシュが原作よりメドローアよりポジで「???」みたいな。

格段に知名度低い印象もあるんだけど同じペアでのビィト側がほそぼそ復活している方を個人的にはめっちゃ評価したいところ。

死ぬこと確定ガンガディアさんはこの前日譚の中で最高レベルにクールだと思うんだけど一方で原作側の後半ハドラーとどうしても被っちゃう。この方々騎士道武士道系に寄せるのが大好きすぎるww……は良くて、ただ帰結が同じなのがちょっとね……というところにビィトのバロンなんですよ。何年待たせたよ!なんかやっぱり騎士道武士道かよ!だがそれがいい!!先が見えない感じが良い!!脳みそっぽい相棒も良い!!

※ 念の為注: 現在ヒスタリオまで話が進んでいる前提で「何年待たせたよ」について前提書いておくと、もともとビィトはバロン戦の途中で連載が頓挫しており「(゚Д゚)ハァ?これが噂のレイニー止めバロン止めか??」みたいな永久に残る傷跡になるかと思ったら連載再開してバロン編大団円だし、というのがあまりに墓場まで持っていきたいサクセスストーリー過ぎて評価がうわあぶれしていますご了承ください。

はぁ。

いや、これは私の中で「ダイの大冒険が一部不満込みで集結している」前提をすごく強く持っているから不満に思うポイントばかりだな。

冷静に考えれば、ダイについて再演・再生産ばっちこいの一般の読み手なら十分楽しめるんだと思います。個人的にはダイの大冒険は予定していたらしい二部の方をきちんとやって見えない「先」の展開の方で「復活」してほしいです。

もすこしおまけ

  • 原作側で私はいつも「アバン先生復活しちゃだめでしょ」と思っていた人なのです。そもそも割とアバン先生推しじゃないし、だから前日譚と言われてもなんかイマイチなんす。あのねあのね、犠牲になったキャラは復活しちゃだめなの。あの人二度復活してしまっているので私的には受け入れられないんす。彼の最大の功績はキルバーンの「ファントムレイザー」を引き出したところそれだけなのでは(酷い
  • 前日譚、レイラさんのエッチみがあまりにひどすぎてそっちに引きづられていて、悪い意味でダメ(?)。終始「わああん、こいつらうまぴょいしたんだ!」という雑念ばっかり来るので困る。そこで終わるのが少年マンガなので邪悪さがMAX

ま、きらいじゃないよ。批判だけど。

 

 

ドリフターズを久方ぶりに読んだ

あるぇー完結してない……

ちょっとキャラがわっちゃわっちゃしすぎてテンポ悪いなっつーのが思うところ。

「コンセプト」と「かけあい」の両方に良いところがある。かけあいについて特に好きなのは「陳宮いやー」みたいなところ。ただ、関連する歴史ネタ知らないと厳しいものはあって、感覚的にはコンセプトが主でかけあいが1割くらい、コンセプトの高速な回収を期待市ている部分が個人的にはある。

蓋を開けてみると、作者としてはかけあいの方が局所では楽しくなっちゃいがちだし、コンセプト回収は考える体力が桁違いに大きくなるだろうから必須筆が進まないのかなと。このあたりは別作品でくっそ進みの遅いやつにも感じるところはある。

「さぱっと死せい」と主人公に言わせている割には展開がドロっとしちゃうのがなんかちょっと違うかなというところと、単行本の出方が遅いところで個人的には読み手としてのテンションは下がっちゃった感じがする。歴史キャラは半分で黒王の侵攻一回敗北、再生からの背後の逆方向への補給線破壊からの再戦勝利で「さぱっと」流してもらうくらいがちょうど良いんじゃないか、と勝手なことを言ってみる。

……と書いてみると、「コンセプト」の良さ「が」飛び抜けていて、かけあいは面白いけど結局英雄転生物なら色々作れちゃうからみんなやってて、まぁこの作品は「はしり」だけどどっかで切り上げるのがプロ……なのかななんて思ったりする。いや楽しいのはどこか分かるし楽しまずに描く人じゃないんだろうとは良く思うけど、「コンセプト」が汚染され始めているスピードの遅さだと思った。久方ぶり読み通した感じではそう思った。

シレン6のBGM周りの話

ダメっていう人がいるみたい。私も結構そっちかなっつー話。

シレン6の曲はそれぞれ単体で言えば悪くないんだけど、通底するテーマというか、曲を束ねたときに問題があるなっていう印象はある。自分はどこにいて何をしていくのか、というのをクライマックスに向けたテンションとセットで提示する、そういうBGMではない。尺八っぽい音使いすぎ。

これは初代を代表としたシレンのもともとの曲がよくできていたことの裏返しだと思う。最初は軽い、後半はだんだん重くなっていく感じ。プレイヤーとしての不思議のダンジョンが下手であったが故に成立するところもある。ハブーン怖い。曲は「まだ序盤だよ」と伝える。山頂から先がドンドン重くなってくんよ。

これはもうね、組曲のノウハウ的なやつなんだと思う(≒音楽理論に根ざした深いものを基礎に音楽感全体が構築されていて、表面的になぞらえて手に入る類の音楽体験じゃない)。

受託でそれらしい音楽を、悪く言えば乱造する人々には無理。発注と受注が切れている世界だと難しいんじゃないだろうか

シレンから「テーマ曲」が消えたわけだけど、個人的にはテーマ曲の同じ音階というのはつくづく作品の非機能性というか、振り返ったときの思い出の強さにすごい影響があると思う。初代のシレンのメインテーマってすごく良く思い出せる。シレン6でそういうのあるだろか。ちなみにシレン5にもこういうのは「ない」。

どっかで最近のゲームのBGMが良くなくなっているっていう話が出回っていた。その通りには思う。でもまぁ、ここに価値を置く人って結構稀とも思う。分解したときに価値に見えないんだよね。

KPIツリーみたいのに分けるという文化圏から、音楽の一貫性というかintegrityというのは生まれづらいなぁなんて思う。そういうのを表面的にひっかくと「シレン6の音楽はクソ」ということになっても私は驚かない。ただ、なんで「クソ」なのか、それをどう回避してきちんと採算性のメカニズムの中に一貫性そこから導かれる深みを得るかは私には良くわからない。表面的には、シレン6の音楽群は十分まともなBGMだと思う。

もう少しオブラートに包まず言うと、こういうことだ

  • はい、シレン6の音楽は私もすごく良いとは思いません
  • 音楽にゲーム全体を包含するもう少し深い構造が感じられず、いかにも表面的に雰囲気を表現しているだけにとどまっています
  • 雰囲気を表現する範囲ではOKラインだと思いますが、もともとの(初代の)音楽はゲーム全体の進行を想定したより深い音楽作品に捉えられる印象があり、シレン6の音楽がそれに対して劣後しているのはほとんど自明に思えるほどです
  • しかし、作者が悪いというふうには到底思えません。音楽を発注する側が、この音楽作品群に対して、初代において作り込まれていたテーマ性を重視するべき旨を伝えることもなかっただろうし、またそういうことを重視するという視点も通常持ち得ないであろうからです
  • 故に、「クソ」っぽい主張には合意するのですが、「クソでない」状態にするために何をするべきかは自明ではなく、表面的な一部のゲーム作りの修正によってなされるものではないと考えられます
  • ゆえに、仮に「クソ」だという点において同意する部分があるにしても、その現象が起きてしまう原因は音楽作成者や発注者のレイヤでなんとかなるような話ではなく、それがゆえ、近視眼的に「クソ」と表現することに対しては「それは失礼だろ」と思う部分のほうが多い。わざわざ公開の議論で話すことじゃぁない。

プライベートというか本業の範囲で、全く現象も経緯も違うんだけど「表面的にはあなたの主張は分かるんだけど、原因と対処方法はあなたが理解できるレベルの話じゃないんだよなぁ」なんていう話が鈴なりになっていて、学びにはなるけど成果にはならなーい、なんていう感じの悩みがあるんだけど、シレン6の音楽にも一部似たような現象がある気がしていて、もにょもにょする